街歩き 豊橋公園編

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こんばんは!
豊橋公園とその周りを歩いて来ました。

吉田城址は、明応5年(1496)ごろ、今川氏の許しを得て豊川の領主・牧野古白が築城した今橋城に始まります。
戦国時代には牧野氏や田原の戸田氏が東三河の覇権を目指して激しい争奪戦を行い、西三河松平氏駿河の今川氏が支配したのち、松平(のち徳川)家康の東三河平定後は重心・酒井忠次、次いで家康の関東移封後は豊臣秀吉の重心・池田輝政(吉田在城中は「照正」、のちに現存する姫路城を築城)らが城主をつとめました。江戸時代には深溝松平家や小笠原家、大河内松平家などの譜代大名が城主をつとめ、幕府の要職を務めるものを輩出しています。そして幕府の東海道の要として、吉田城は拡張と整備が重ねられました。 とあります。

吉田城です。豊川の川沿いから写してます。石垣が凄いです!!


四警官殉職の碑がありました。昭和41年10月12日に豪雨に襲われたんですね。

徳川家康公が腰を下ろした跡地です。

豊橋市公会堂です。
テレビドラマや映画ロケに時々使用されてます。


安久美神戸神明社です(アクミカンベシンメイシャ)

御神体
主祭神天照大御神アマテラスオオミカミ
     豊受比売神トヨウケヒメノカミ)
     伊邪那岐命イザナギノミコト)・伊邪那美イザナミノミコト)
     猿田彦(サルタヒコ)
     菅原道真(スガワラノミチザネ)

天慶2年(939)10月平将門の乱伊勢神宮へ平定祈願した。霊験のおかげか翌年2月平定。
天慶3年(940)喜んだ時の天皇朱雀天皇)が伊勢神宮へこの地を寄進して安久美神戸という名の神領地となる。その時に伊勢神宮祭主大中臣頼基の庶流・大中臣基守が来て、この地に新神戸の屋代として創建されたそうです。

御利益は勝負運向上・安産・学業成就です。

幣殿と伊勢神宮遥拝所

手水舎

猿田彦

護国神社

楽殿伊勢神宮遥拝所

額殿 赤鬼がいます

ここにも徳川家康公の腰掛松があります。


隣に豊橋ハリストス正教会がありますが…今は保存修理中です。(令和6年6月頃迄)
ロシア正教会の信者も増えた大正2年に初代神父のマトフェイ影田叙聖35周年を記念して新築された正教会で現存する県下の正教会の最古の聖堂だそうです。
今は白いベールに覆われています。楽しみです。

豊橋市美術博物館も今は工事で休館中(9月頃迄)です。

すぐ前を市電(国道1号線)が走ってます。
歩いても豊橋駅までは15分位だと思います。


読んで下さってありがとうございます