「人魚の眠る家」を読んで

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東野圭吾さんの「人魚の眠る家」を読みました。

 

 

プロローグとエピローグに登場する宗吾…ネタバレですが

小学校の帰りに前を通る、大きな立派な「お屋敷」に好奇心を持つ。

思いがけず被っていた帽子が飛ばされ「お屋敷」の中へ…

固く閉ざされた門扉がその日は開いていて中へ…

帽子を見つけ近くの窓から覗くと「車椅子に座って眠っている少女」

年頃は同じくらい…

もう一度会いたい…紙飛行機を飛ばして堀の中へ…

少女は居なかった…がっかりして帰るところへ、車椅子を押した女の人が…

紙飛行機を見せ「入っちゃたから」と言い訳。

 

車椅子で寝てる少女を見て「足が悪くて歩けないの?」と。

母親から「世の中にはね、いろいろな人がいるの。足が悪いわけじゃないのに自由に散歩できない子供とかね。いつかきっと、あなたにもわかる日が来ると思う」

それが最後になったが、宗吾はその少女の顔を忘れることは無かった。

人魚のイメージが宗吾の頭に漂うようになった。

 

少女は小学校入学直前にプールで事故にあい脳死の状態に…

母親は娘の脳死を受け入れられず献身的な介護へ…

父親も養育を母親任せにした負い目?から妻の言いなりに莫大な援助を…

3年後、娘が母親の夢枕に立ち「ママありがとう。さようなら」と。

母親は娘の死を受け入れる。

医師達からも…最新科学の力で自発呼吸させ、脊髄を磁気刺激し反射で筋肉を鍛えさせ「奇跡の子供」と呼ばれてた。

娘は…脳死判定後、問題も無く臓器が移植提供された。

 

プロローグ 3年半後…宗吾は心臓移植手術を受け元気に退院。

立派な「お屋敷」へ行ってみたが跡形もなく消えていた。

ふっと薔薇の香りを感じた。

この心臓をくれた子供は、深い愛情と薔薇の香りに包まれ、きっと幸せだったに違いないと確信する。

 

私は子供を持った事が無いから分かりませんが、脳死状態の娘を献身的に介護できるか…自信がありません。

母親が昏睡状態に陥った時でも…父親と「こういう状態で生きている事が幸せなのか?」と話してました。

父親が昏睡状態に陥った時兄が「こういう状態で生きている事が幸せなのか?」っとボソッとつぶやきました。

私は「みんなその問題で悩むね!!父も母の時に口にしてたよ」

難しい問題ですネ…

14年前兄に「死んだら献体して」と。

兄が父に話して…呼ばれて怒られました。

献体なんかしたら何にも帰ってこない」と泣かれもしました。

医学の進歩の為になるなら良いじゃないかと思いましたが。

でも…今も元気で生きています。

 

読んで下さってありがとうございます。