岩屋緑地公園の小渕志ち像を見て!!

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こんばんは!

 

岩屋緑地公園に小渕志ちさんの銅像があります。

調べてみました。

女性実業家(製糸家)desu~~!!

豊橋の方かと思ってましたが…群馬県出身なんですネ~~!!

旦那さんの暴力から逃げる為盲目の長女を置いて…

中島伊勢松と伊勢参りと称して駆け落ちしたそうです(゚д゚)!

 

三河の国は奈良平安の昔は日本でも屈指の良質の繭生産地であったが…

明治時代、製糸工場が無いので、繭を製糸場のある上州の方面に売りに行かねばならず、上州からは足元を見られ安く買い叩かれていた。

小渕志ちは二川町の懇願から二川町で製糸業を始める。

 

小渕志ちは愛知県東三河地方の玉糸製糸業の先覚者とされ、特に豊橋市では「玉糸製糸の祖」として顕彰されている。

座燥器による玉糸の操糸法を確立させ、玉繭という屑繭から高品質の生糸を繰ることに成功した。1885年(明治18年)に渥美郡二川町に製糸工場(後の糸徳製糸)を建設した。糸徳製糸の経営の傍ら、東三河地方で同業組合の結成を促進するなど、製糸業の発展に大きな功績をあげた。          ウィキディペディアより

 

1911年(明治44年)10月に明治天皇名古屋市行幸した際、糸徳製糸の輸出生糸を奉献した。1913年(大正2年)3月22日、大日本蚕糸会愛知支会から功労表彰を受けた。同年秋には愛知県で陸軍名古屋特別大演習が行われたが、11月15日には名古屋離宮大正天皇に拝謁し、優諚と御菓子を賜った。志ちは大正天皇に個人拝謁を賜った全国初の女性である。

1914年(大正3年)6月13日には名古屋離宮大正天皇が糸徳製糸の玉糸を上覧し御買上の栄誉を賜った。同年に開催された東京大正博覧会では糸徳製糸の製品が銅牌を受賞している。1916年(大正5年)時点で、愛知県の生糸生産量は長野県に次いで全国第2位であり、特に玉糸生産量が多いという特徴があった。    ウィキペディアより

 

凄い人ですネ~~愛知県を「玉糸王国」、豊橋市を「蚕都」と言わせるほど製糸業を成長させたんですネ~~!!

 

 

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